魂揺らし ―弐―






手袋を馴染ませるかのように組んだ指を動かし、ミシリミシリと小さな音をたてながらイビキは話を続けた。
「昏睡状態から目覚めた母親はすっかり他人の意識に取り込まれててな、その時枕元にいたイルカのことなんぞまるで判らなくなっていた。母親に認知されなかったイルカは可哀想なくらい沈んでいて…、最初は子供らしく泣き喚いていたがしばらくしたら静かになったんでな、まあ父親がいたからまだしもか…とその時は思ったんだが。実はちょっと違ったみたいでな」
「実際は自分もいつかあんな風になるんだ…と、それを恐れていたらしい。だから自分は結婚なんてしないんだと言いだした。忘れられる人が可哀想だと言うんだ。あいつなりにこれから自分のしなきゃならんこととその残酷さを思い知ったんだろう。それまではどちらかというと屈託ない感じで母親から手ほどきを受けていたみたいだが、それがあってからは少し顔つきが変わった」
「もちろん死体を相手にするんだから、小さかったイルカにはそれに対する恐怖もあったろう。でももっと怖いのは自分が変わってしまうことだと思ったんだろうな」

一通り言い終わってイビキは組んでいた手をほどきソファに深くもたれ掛かった。
カカシはこの自分よりイルカと長くいる男に羨望の目を向ける。今更どうにも仕様のないことだけれど羨まずにはいられない。
「俺には…そんなの一言も言ってなかった」
「まあ昔の事だしそうあることではないからな、イルカの母親もその時は二、三日で元に戻ったんだし。そういえばその時の彼女には自分の意識が戻る前の記憶も多少残ってたみたいで後々かなり気にしていてな、しばらくは大丈夫かと思うくらい過保護にイルカとべったりだったな。だから母親の必死さはあいつにも伝わっていたと思うんだが。それに」
イビキは一旦言葉を切って、カカシの顔をじっと見ながら含みのある声で言った。
「お前だから言えなかったのかもしれん」
「…なんで」
「お前を忘れてしまうかもしれないなんて自分からは言えないだろう。今まで自分から誰かと居たいなんて望まなかった奴だ。納得はいかんが、あいつにとってお前が特別だということなんだろう? まあお前にしてもそうなんだろうが…。さっきも言ったがあいつだってそれなりに失ってきたからな」
カカシは複雑な顔で視線を逸らした。四代目の事でイルカに八つ当たりしていたのをイビキには見られている。そんなカカシの胸中を見抜いてかイビキはもう一つ付け足すように語り始めた。
「お前も四代目の件では色々あったろうがな。イルカは自分の母親も《揺らし》てるんだぞ。もちろん他にも…何人もいたがな」
「…そう」
考えてみてはそれほど不思議なことではなかった。イルカの母親だってそれに値する存在だっただろうし、四代目も四代目の対の魂揺らしもいなくなった以上次に役割を果たすのはイルカしかいない。五代目の就任、或いは三代目が復権した場合も想定してイルカは準備をさせられていたのだろうから。九尾との戦いから若い世代が遠ざけられていたのは次世代を見据えてのことだった。四代目も十分若かったけれど、あの人は「火影」だったから里を守った。
「あいつは本当は両親と一緒にいたがったんだが当然許されなかった。四代目の傍近くはお前でさえ許されなかったろう? 年若い者は皆一定のラインから外された。俺だってその一人だからな…四代目の指示とはいえ従い難かったさ。それでも皆がそう動いた。残された者の使命を果たすためにな。イルカも《揺らし》続けて…あらかた終えたその後しばらくは使いモノにならなくてな…、眠れなくなって香を使い始めたのもその頃からだ。昼間どんなに調子に乗って悪ふざけしてみせても、独りになるとだめなんだと言っていた。さすがに今では滅多なことでは使わんようだがな…、ああ、最近じゃお前の気に中てられた時か」
「…マジ? それも知らなかった…」
「だろうな」
「へこむなぁ…。あ、下忍時代が長かったのはそれも関係ある?」
「心の整理がつくまでと中忍試験も受けずにいたからな。剣技なんかはかなりのものだったんだが、精神が伴わないとか言ってなかなか首を縦に振らずにいた。結構頑固な奴だからな、まあ結局は受付に座らせる為に半ば無理やり引っ張り出したが」
「受付任務は諜報の為に?」
真剣なカカシの顔にイビキは苦笑しながら続ける。
「ああ、まあそれが建前だが、端的に言うとあいつの笑った顔は受けがいいんでな。一度火影様の気紛れで座らせたら外回りの奴等にすこぶる評判が良くてなあ。これも無理矢理のうちだ」
「…そんなこったろうと思ったよ。まったく三代目は…」
「そう言うなよ。結果的にあいつにとってはいい気晴らしになったようだ。あまり笑わずにいると顔の筋肉も固まるようだが、いい具合にそれがほぐれたみたいでな」
「まあ、確かにあの笑顔がいいんだけどさ。ちょっと無差別すぎるよね」
イルカの笑顔を思い出して溜息をつき、更に先程の出来事を思い出して今度は顔を歪ませる。
イビキはそんなカカシを見ながら呆れたように溜息をついたがニヤリと顔をつくる。
「お前がそんな事を言うようになるとはな。それも全く予想外だ」
「悪かったね、可愛げなくて」
「そんなもの期待してないさ。ただ、あいつを泣かさないで欲しいだけだ」
「俺が泣く分にはいいってこと?」
「そう言うな。ただな、もし本当に出来ないのなら今すぐあいつの手を離してやれ。俺の希望はそれだけだ」
いつもの強面が少し表情を変えて保護者としてイルカを庇っているのは気に食わないが、イビキなりの譲歩を否定する愚は犯さない。この男なりにカカシを認めるというのなら当然それに乗る。
「離すわけないじゃない。イルカは俺のだ」
「あいつはモノじゃないがな、意気込みは買ってやる」
「モノだなんて思ってないけどね。でも手離す気なんかぜーんぜんないよ」
それを聞いたイビキは再びニッと笑うと立ち上がってカカシの肩を拳で叩いた。同時にカカシの目を覗きこみながら言う。
「今の言葉を忘れるなよ」
「当たり前でしょ」
「そういうことにしておこう。だがしばらくは俺達が看る。お前も本人の意識のない状態のイルカに会っても仕方なかろう?」
思い返しただけで悄然としてしまうカカシを見透かしてイビキは言い放ち、控室のドアを開けた。
「…状況が変わったらすぐに教えてくれ」
「俺だって早く戻って欲しいさ。まあ、少し待っていろ」
「あー…、頼むね」

苦笑しながら立ち去るイビキの背を見送りながら、眠るイルカを思う。
ああしていればいつもと同じイルカだけれど口を開いて拒絶をされたら何をするかわからない。自分でもそれがわかる。
イルカ…。早く元に戻ってよ。

こんな気持ちで任務に出るのは危険だから、屋敷から一歩でも出たら気持ちを切り替える。戻ってきたイルカに恥ずかしくないように。イビキと話してみて、今まで知らなかったイルカを知った。自分とどちらが不幸かなんて比べるだけ不毛だ。二人とも失ってきたことには変わりなく、二人とも忍びとして生きているのだから。
ただ、ひとり置いていかれるのだけは嫌だ。
せっかく見つけた半身を失いそうなのに、手を拱いて待つだけなのが辛い。



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(2005.05.10)

しゃべりばっかりだー! イビキさん小姑ですから頑張っています(笑)
それにしても、早くイルカ出したいよー。





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