里が近付くにつれ、カカシは懐かしさと妙な違和感を味わうことになった。
この世界は全て過去の、よく知っている風景。
なのに、わずかに視線が違うだけでまったく知らない場所のように思えるから不思議だ。
「懐かしい?」
「それと、新鮮ですね……」
言いながらカカシは猫背をたわめ、目を合わせる。
「先生を見下ろすのが」
「ははは。大きく育ったもんねえ」
気づいた時にはもう、穏やかに笑う人の腕が肩を組むように回されていた。
もう一方の手が軽く頬に添えられただけで、びしりとカカシの顎関節が悲鳴を上げる。
「痛いです、痛いですっ! 先生ーっ!」
アゴに回った腕を軽く叩いて降参の意を示すとすぐに開放された。
「ん! 大きいっていいねえ。加減しやすくって」
「……あれで、手加減してたって言うんですか?」
「もちろんだよ」
朗らかに答える師へ、カカシは疑いの目以上のものを向けることのできない。
「だって、君が子供の頃は一度も手かけたことないだろ?」
「……ええ。ま、そーうでしたねえ……」
カカシの言葉に少しの沈黙の後、照れた笑顔が返った。
「うん。子供相手だとさ、限界分からないから」
「……そうですか……」
ただ、笑顔がどこか淋しげだったのは、肩を落とすカカシには見えていない。
それから二人は、ぽつぽつとした会話を続けながら明るいほうへと歩いていく。
里の中枢の入口である大門付近は、任務から帰還する忍で賑わっていた。
カカシは密かに緊張して足を止める。
「どうしたの、カカシ?」
「ええっと、今更ですけど、オレ里に入るのマズくないですかね?」
木ノ葉の額当てをしてはいても、この時代に今の自分は存在しない。
例え信頼の篤いこの人と一緒にいても、見咎められれば言い訳のしようがなかった。
「大丈夫だよ。木ノ葉の忍びの顔を全部覚えてる人もいないしね」
「そう、かもしれませんけど……」
あっけらかんと危険な真実を告げる人に敵うわけもない。
まだ戦時ではないのかと思い、カカシは腹を決めた。
引き止められたら、その時に言いくるめるなりすればいい。
「あら、先生。お久しぶりです」
「こんな時間まで大変ですね、お互い」
だから、背後からいきなり声をかけられても、大人ぶったよそよそしい挨拶に照れくさく微笑みあう二人の傍らで落ち着いていられた。
声を掛けてきたくのいちはいくらか年上に見える。
長く真っ直ぐに伸びた髪を無造作に背中へ流し、可愛らしく微笑む魅力的な女性だ。
どういう関係なのかと二人を窺っていたカカシを見上げてくる目が、どこか懐かしい。
「ところで先生、こちらは?」
「ええっと、昔……」
「前に、お世話になったんですよ」
言いよどみかけた師の横からカカシは言い訳するカカシを一瞬、不審そうにくのいちは見返した。
「そうですか」
けれど、隣りに立つ人を信じて納得したフリをしてくれる。
「ん?」
「あら?」
その時、何かに気づいた二人につられ、カカシも大門の方へ目を向ける。
「お帰りっ! かーちゃんっ!」
くのいちに飛びついてきた子供の姿に、カカシは我が目を疑った。
* * * * *
飛びついてきた子供を細い腰でしっかりと抱きとめ、くのいちは花がほころぶように微笑む。
「ただいまっ、イルカ! お迎えご苦労」
かなり乱暴だが、いとしげに子供の頭と撫でる仕草と笑顔が、誰かによく似ていた。
「痛いよ、かーちゃんっ!」
非難しながらも、どこか嬉しそうに自分を撫でる手に懐く子供を、カカシは見た覚えがある。
じゃれあう親子を微笑ましく見ていた人が腰を屈め、子供に話し掛けた。
「こんばんは、イルカ君」
「こんばんはっ、先生っ」
元気よく受け答えするということは、子供時代のイルカはカカシの師を見知っていたのだろう。
そしてイルカは次に、カカシにも屈託のない笑顔を向けてきた。
「おっちゃん、こんばんはっ」
時間が止まったように感じたのはカカシの錯覚だろう。
隣りで盛大に吹き出した人をちゃんと認識できている。
まだアカデミー生でしかないハズのイルカが、初対面の上忍をおっちゃんと呼ぶだろうことも理性では理解している。
ただ、カカシの中に居る何者かがその言葉を拒否したがった。
それでも、返事を待つ子供を放ったらかしにもできず、ぼつりと返す。
「……あー、はい。コンバンハ……」
不機嫌そうな声が出たかもしれない。
恩師は腹を抱えて俯いたまま、カカシの肩をばしばし叩く。
「ナンデスカ?」
「いや、まさか、カカシ君がそんな呼ばれ方するの見られるって思ってなかったから」
くくく、と堪えきれない笑い混じりに小声で、楽しくなっちゃって、と言う。
「イルカ君、このお兄ちゃんまだ若いから」
「まあ、ごめんなさい。イルカ」
笑ったことに罪悪感でも覚えたのか、一応という感じで訂正してくれる。
母親も別段悪びれた様子はないが、子供を促す。
「ごめん、にいちゃんっ。顔隠してっから、分かんなかったよ」
「や、気にしてなーいよ……」
あっけらかんと言われてしまえば、そう返すしかない。
カカシは肩を落とし、師と共に仲良く手を繋いで先を歩き出した親子についていった。
なんのチェックもなく大門を過ぎ、賑やかな通りへ差し掛かった辺りで隣りからこっそり問われる。
「どうしたんだい? カカシ君」
色々と複雑な感情に捕われ、殆ど目の前の親子を睨むように見ながら歩いていたのかもしれない。
そして、この人相手に自分が嘘を吐き通せないことも身を持って知っている。
言葉と内容に気を使いながら、告白するしかない。
「……友達、なんですよ……」
「……カカシ君がイルカ君と? 意外だよ」
でも、分からなくもないか。
「イルカ君、人懐っこいから」
うんうんと一人納得している人と、目の前を歩く親子の楽しげな様子に、カカシは押し潰されそうな罪悪感に苛まれていた。
イルカとの関係はお互いの気持ちが通じてのことで幾つもの覚悟をして至ったものだ。
けれど、二人を慈しんで良き将来を望んでいただろう人たちを前にして堂々と言えるものではない。
「……そう、ですねえ……」
「じゃ、今日会ったのはマズかったかな?」
「……大丈夫、じゃないですかねえ……」
多分、母親の知り合いの連れていた忍びのことなどイルカはすぐに忘れてしまうだろう。
もうじき、忘れようもない出来事が幾つもこの里を襲う。
そして、辛さや悲しみを乗り越えた二人が十数年後に出会うのだ。
だが、カカシは本来の世界ではなく、過去にいる。
今、イルカはどうしているのだろう。
思うと、無性に帰りたくなった。
自分の居場所へ。
<続く>
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