9月も半ばになると、残暑も落ち着きを見せ始めていた。
傾き始めた日差しは強いものの、冴え冴えとした風が心地よい。
このまま、もう少しだけまどろんでいたい。
そう、思ったところで、カカシの意識ははっきりと覚醒した。
だが、ここがどこなのか、なぜ自分がここにいるのか。肝心なことが、ぼんやりとしている。
分かるのは、誰かが近付いていること。
一散に駆けて行こうとしているのは、子供だろうか。
それにしては、随分と早く、静かだ。
小柄だが、きっと大人だ。そして、十年前後のキャリアを持つ忍びだろう。
ただ、カカシの知る木ノ葉隠れの忍びに思い当たる人物がいない。
寝たふりのまま、やり過ごすために気配を殺す。
だが、行きすぎようとしたその忍びが足を止めた。
動揺しているのか、それまで薄くしか感じられなかった気配が強まる。
覗きこもうとするその動きに合わせ、そっと目を開いた。
「……父、さん……」
小さな呟きに、そして覗き込んできた人物に、カカシは驚愕した。
光に透ける、逆立った髪。
木ノ葉の額当てと、口元を覆い隠す装束。
そして、背負ったチャクラ刀。
知っているなんてものじゃない。
それは、かつてのカカシ自身。そのものだった。
互いの目をしばらく見合わせたのもつかの間、少年は失望と諦めを露わに身を翻す。
そして、ここまで駆けてきた以上の速さで去っていく。
残されたカカシはむくりと起き上がり、まだ幼い自分を呆然と見送った。
「……どーいう、こと?……」
左手を後頭部にあてたところで、また人の近付く気配がある。
まだどこか子供っぽい二人と歴戦の一人。3人とも、忍びだ。
どこか覚えがある足運びに嫌な予感と、かすかな期待をこめてカカシは彼らを待った。
先を行った者を非難するような少年。そんな彼を宥める少女の声。
それから、なにげなく足を止め、カカシを見やるその人。
「先生ー」
少し先へ行った少年と少女が振り返る。
懐かしい面影に、カカシは胸が痛くなった。
「ああ、ごめん。今日はここで解散にしよう」
ふと思いつきを口にする先生と呼ばれた人は、ただ穏やかにそう言う。
子供たちはいきなりのことに呆れ、非難めいた言葉をもらす。
けれど放り出すような物言いへ不満そうにしながら、任務から開放された嬉しさは隠し切れていない。
「さて」
子供たちが去っていくのを待って、その人は土手上から覗き込んできた。
そして戸惑いがちに、だが確信を持って問い掛けてくる。
「君。カカシ君、かな?」
「……先生は、素直すぎです」
勘と洞察力の鋭さ、そして発想の柔軟さに改めて敬服しながら、カカシはかつての口癖で返す。
非難するためでなく、肯定するために。
このやりとりでお互いを理解できた。
「どうしてって顔してるねえ」
ここはカカシにとっては過去の世界。
ここの住人にとって、カカシは未来の存在。
「でも、オレもそれが聞きたいなあ」
ぼうっと見上げるカカシの傍らへ腰をおろした人が、にいっと懐かしい笑顔で語る。
色々、気になる格好してるし。
「とりあえず、今の君のことを話してよ」
カカシは未だに、その笑顔には逆らえない。
* * * * *
それから、長い時間をかけてカカシは尋問された。
柔らかい口調や優しげな笑顔であっても──いや、だからこそ、言いづらいことを無理やり聞き出されるのは苦痛だ。
まるで苛烈な任務後のように立てた両膝の間にがっくりとカカシはうなだれる。
その傍らで、すっかり日の暮れた星空を見上げるように寝転びながら暢気な声をあげる人が恨めしい。
「まったく頑固だねえ、カカシ君はー」
今の年齢や階級、それから生活など、見た目や口調からでも推測できそうなことは聞き出した。
けれど、身近な人々の将来についてはカカシは一言ももらしはしない。
未来を変えないための措置だと、互いに分かっている。
「オレのお嫁さん、どんな人か知りたかったのになー」
一度も聞かなかったことを口にするのは、意趣返しだろう。
カカシは額当てで左眼を隠す理由について、何一つ語らなかったから。
ただ、カカシはまだ気を緩めていない。まだ尋問は終わっていないのだ。
自分の知る中で最強は今、目の前にいるこの人物。この布石からどう展開するのか、予想もつかない。
「それじゃあさ、カカシ君はどうなの?」
「……野次馬根性丸出しですね……」
にやにやとしたあまり見たことのない笑顔を向けられ、ため息混じりに返した。
すると、どこか間の抜けた大口を開けた顔が自分を見ている。
「どうかしました?」
「いい人いるんだあ!」
「……なんでそうなるんです?」
全身全霊をもって平静さを装おうとするカカシを子ども扱いに、あっけらかんと答えてくれる。
「カカシ君ってさ、昔っから嘘つくの下手だよね」
「うっ……」
「顔隠してるから表情分からないだろうって安心してるでしょ。でも、声とか仕草とかでバレバレだよ」
あくまでも穏やかに図星をつきまくる言葉に、カカシは落ち込んでいく。
「で?」
「で、なんです?」
「どんな人なんだい?」
明らかにからかっている口調と表情に、カカシは一瞬、口をつぐむ。
だが、内心は必死。どう答えるべきか、最適な選択を迫られていた。
「………言えませんよ。明日からのオレを思ったらね」
「いい答えだよ、カカシ」
ほっとした。
もしも間違えていたなら、じわじわねちねちと根掘り葉掘り聞き出されていただろう。
そして間違いなく、そのネタで子供時代のカカシはからかわれるはずだ。
「ようし。折角、大人のカカシ君と会えたんだし、ここは飲みに行こうっ」
いきなり提案し、がっしと手を掴んで立ち上がって歩き出す。
里の方角だと分かって躊躇しかけたが、結局はカカシは従うしかない。
引きずられる前に立ち上がり、並んで歩き出す。
「ずいぶん、楽しそうですね。先生」
「そりゃあね」
少し見上げてくる視線に、いつの間にか自分が恩師よりも背が伸びていたことを気づかされた。
「カカシ君にも手の掛かる教え子、いるんだよね?」
「ええ、まあ……」
答えながら思い返すのは、その手のかかる教え子たち。
そして、彼らをきっかけに知り合った人。
「その子が大人になってさ、一緒に飲みに行けるようになったら楽しくないかな? ね?」
言われるまま想像し、急激な頭痛と胃痛に襲われて倒れそうになった。
「どうしたの、カカシ?」
「いえ。想像したら、ちょっと……」
揃いも揃って伝説の三忍に弟子入りした部下三人の行末は楽しみでもあるが、恐怖でもある。
特に将来、うわばみ揃いの師に鍛えられた彼らとの酒の席など考えるだけで悪酔いしそうだった。
「よっぽどの問題児を抱えてるみたいだねえ」
「ええ、お陰様で……」
だが、全ては想像の未来に過ぎない。
今はただ、恨めしげに恩師を見やるしかなかった。
<続く>
|