「黄昏」 2

 

 

 

真っ白な薬くさい部屋。
カカシは目を細めた。

目の前には愛しい人とインチキ臭い白衣の爺が座っている。

「詳しい、検査が必要ですねぇ…外傷だけかと思ったのですが…神経の方までやられている可能性もあります。検査の予約を入れましょうね。」

よぼよぼの爺さんはそう言ってカルテに何かを書きこんだ。

「あの…先生、俺……治るんですか?」
イルカの声に爺は曖昧な笑みを浮かべた。

「検査してみないとなんとも…ねぇ…明るくもなりませんか?」
そう言って先ほどと同じようにペンライトを振る。

「はい。」
小さな声で答えるイルカを見て、それを机に置いた。

「……検査しみないと…ねぇ。」
それを繰り返し爺はカルテを書く手を止め、ため息をついた。

「化膿止めだしときますね…お大事に。」


そう言われると、イルカは診察室から出されてしまった。

 

 

 

 

カカシは包帯のとれた彼の手を引きながら歩く。

一歩後ろを歩くイルカの見た目はいつもと変わらない。

外傷は傷も残らず綺麗に消えた。

瞳は黒くて…眼球も動いていて…でもどこか遠い空を見ているような目をしていた。

 


人目につくのは嫌だろうとカカシはわざと遠回りをしてイルカの家に向かって歩いていた。

いつもとは違う慣れない道。
足元がおぼつかないのかイルカは少しカカシに寄りかかるようにその道を歩いた。

カカシは道の横に広がる草原を眺める。

真夏の太陽は目に痛いくらいに鬱蒼と茂った草原を照らす。

こんなにも…明るいのに……

イルカ先生の瞳には何も入らないのか…。

インチキくさい爺の顔が浮かび、カカシは唇を噛んだ。

 

 

その時、後ろを歩くイルカが立ち止まった。

カカシは反射的に振り返ると俯いて歩いていた彼が、顔を上げた。

「…カカシさん、…俺の顔…変?」
真っ黒な瞳がまるで見えているようにこちらを向く。
腫れていた目蓋は綺麗に治っている。
カカシは額につく汗を拭いてやると微笑んだ。

「大丈夫ですよ、傷も残ってないし…良かったですね。いつものイルカ先生ですよ。」

外傷のことを聞いているのであろうイルカにそう答えるとイルカは俯き鼻の頭をかいた。

「……いつもと一緒では…ないです…。」
目の前が暗い。

……そう小さく呟いた。

検査の予約がとれたのは四日後。
検査の次の日にはカカシはまた任務に行かなくてはならない。

一週間の休みは終わる。

イルカとした約束の海へは到底行けそうにもなかった。

「約束…したのに…海。」

イルカの力ない声にカカシは握る手に力をこめた。

「またにすればいいじゃないですか。」

伝わる熱と優しさにイルカはぐっと咽を詰まらせた。
奥歯をかみ締めて…後悔するつもりは無かったはずなのに…少しの後悔をした。

あの時、薬を調合するときの班をなぜ変更しなかったのか?

生徒にやらせるのは早かったか?

自分がして見せてそれで授業を終わればよかったのか?

 

それでもやっぱり時は戻ることはないのだ。
軽く、鼻をすすりながらカカシに手を引かれイルカはトボトボと家に帰った。

 

 

 

 

 

 

 

 


「昼ごはんにしましょう、イルカ先生。そうめんでいい?」

カカシは明るく声をかけてくれた。イルカはその声にかるくうなずいた。

手探りで座布団をとり居間に寝転がる。
目を閉じていても開いていても変わらない視界。
真っ暗な世界の中………
台所からするカカシのまな板を叩く音をきいた。

包帯を巻かれ不安だった3日間。

カカシが帰ってきてくれたおかげでイルカは不安なくすごせた。
いや、思っていたよりも不安は少なく過ごせた。
カカシは声をかけると同時に必ず体の一部に触ってくれた。
それは肩だったり手だったり指だったり……
彼の暖かさが…優しさがそこから伝わってきたので不安が少し消えた。

今、こうして自分の部屋であろう所に寝転んで、目蓋を閉じる。

カカシが空けてくれた窓から、風が頬にふれて…額にほつれた髪を揺らす。

夏の匂い。

近くの家から聞こえる風鈴の音。

近所の子供たちの声。

今、真っ暗闇にいても…それは鮮明に思い浮かべることができる光景。

今はまだ……覚えている光景。

思い浮かべることができる光景。

暗闇にいても感じることができる光景。

黄昏ではない光景。

でも……

それでも……

そこまで考えるとイルカの目に突然大粒の涙が浮かんだ。

 

両手で顔を覆い隠して、目が見えている時と寸分かわらない動作で肩を震わした。

「うっ…ふっ……うぅ。」

カカシが茹でるそうめんの湯気が部屋の空気を熱くする。
流れる水の音にイルカの押し殺した泣き声がかき消されるようだった。

視界がない自分はどこか遠く。
暗闇に置き去りにされたように感じた。
音だけが遠くで鳴っている。
部屋の中の気配は…近くのようで遠い。
遠近感も乏しい空間でイルカは、ただ嫌なことを考えてしまう自分を叱咤した。

その時。
頬に暖かく柔らかい感触が広がった。

「イルカ先生……泣いてるの?」

カカシだ。

いつだって彼が暗闇から救ってくれる暖かさをくれる。

その声にイルカはもう我慢ができなくて閉じられた瞳から涙が溢れ落ちた。

「ごめんなさい…ごめんなさい……カカシさん…ごめんなさい……。」

「どうして謝るの?大変なのは先生なのに。」
カカシはそう言いながら泣いているイルカの身体を起こしてやった。
背中をさすりヒックヒックと咽をならしている彼の頭を撫でた。

「目が見えないのが不安なの?」

その問いかけに首を振るイルカ。

「治るか…心配なの?」

その問いかけにも大きく首を振った。


「…………イルカ先生……。」
カカシは大きく揺れるイルカの肩を何度も撫でた。

イルカはゆっくりと顔をあげる。
黒い瞳はカカシではなくて…何処か遠くを見ながら口を開いた。

「…カカシさんは…こんなに俺によくしてくれるのに……俺は…。」
カカシの手を手探りで探し、イルカの手は腕をつたってカカシの頬にふれた。

「俺…あなたが任務に出て行った時から、あなたの顔を見てません…………こんなにしてくれるあなたに何もかえしてあげることができない…自分のことしか考えられない…そんな自分が嫌で……。」

そのまま項垂れるように手がおりて、崩れ落ちた。

「イルカ先生……。」

そうポツリと呟くとイルカの手をとり自分の胸に重ねた。

「この音聞こえますか?先生…。」

掌を伝わり…カカシの心音が聞こえるようだった。

トクトクと規則正しく鳴る音。

イルカが小さくうなずくとカカシはにっこりと笑った。


「大丈夫、それがわかるなら大丈夫。俺だってわかるんだから。先生は何もできないなんてことはないんですよ。先生が見えていなくても俺には見えているんだし。先生は感じることができるんだから…俺がそばにいて教えてあげられるんだから、何もできないなんてことはないんです。」

気持ち明るいカカシの声にイルカは小さく口を開いた。

「でも……ずっと…あなたの姿が見えなくて………そのまま…あなたが任務に言ってしまって……姿が見えなかったら……憶えている姿が黄昏のように消えてなくなってしまうのが早いのか…俺を呼んでくれる声を忘れてしまうのが早いのか…記憶って…どっちが早いでしょうかね?」

 

一息にそこまで言うと…また顔を床に伏せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

3続く→

 


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