魂揺らし ―弐―






三代目の処置が終わってからカカシはずっとイルカの枕元にいた。
あれから丸一日たつがイルカはまだ目を覚まさない。
時折何かを掴もうとするように指先がほんの少し伸ばされるがしばらくするとまた静かになってしまう。意識が戻るのかとその度に期待の芽が膨らみまた萎んでいくような心持になるのだが、それでも側を離れようとは思わなかった。
イルカが目を覚ましたら一番にその瞳を見たいから。
そしてイルカが覚えていてもいなくても謝るのだ。
自分のしたことを全て晒して許しを請う。
自己満足にしかすぎないし許してもらえないかもしれない。イルカは優しいからもしかすると冷たくあしらうことはしなくても心を閉ざされてしまうかもしれない。
悪い想像はいくらでも出来るけれどそれでも隠すのは嫌だと思った。そこまで自分はイルカに甘えきっているのだ。全て晒してそれでもイルカが受け入れてくれることを望んで願っている。



「おい」
扉が開いてイビキが入ってきた。カカシは振り向くこともせず寝台の脇に置いた椅子に座わり、寝台に肘を付いて頤を支えイルカを眺めている。
「どうだ、まだ変わらんか」
「そーだね」
質問にだけ答えてカカシはイルカの手を取り緩く握った。
「連れて行きやしないから心配するな。それよりほら」
カカシの膝にぽんと小振りな包みが投げられた。ほんのり暖かい包みを触り、カカシが緩慢な態度で振り仰ぐと表情を変えないままのイビキがイルカを見ている。
「別に二日三日食わなくたって平気だよ」
「ばか、お前はそうだろうがな。自分がどんなツラしてるかわかってるか? イルカの目が覚めたときそんなツラ見せてやるな。イルカが心配する」
「そっか」
「そうだ」
片手をイルカから離さないまま包みを弄り、まだ暖かいそれをなんとなくイルカの手に触れさせる。
「それは屋敷の厨房で作って貰ったやつだから心配しないで食え。イルカの好きな物も入ってるから匂いを嗅がせてやればつられて起きるかもしれんしな」
ニッ、と笑ってイビキは部屋から出て行った。
「悪いね」
カカシが小さく呟いた言葉はきっとその耳に聞こえただろう。

「イルカぁ…。皆心配してるよ。そろそろ起きてよ…」
「ほら、おにぎり。イルカの好きなのが入ってるってさ。早く起きないと俺が全部食べちゃうよ?」
言いながらカカシは包みから握り飯をひとつ取り出すと口布を下ろして頬張った。
「なんか久しぶりにあったかいもん食べたなー。でもイルカが握ってくれたやつのほうが旨いよ…。卵やきだってちょっとコゲてたりするけどさ、好きなんだよなあ…」
ぽろ、と何かが落ちてシーツの端に染みをつくった。
何度か瞬きをすると染みが増える。
「何だぁ?」
それが自分の目から零れていることを知りながらも俯いたままカカシは呟いた。
「飯食ってこれって…カッコわり…。イルカ、今は目ぇ覚まさないでねー?」
鼻を啜りながらイルカを見遣るとぱっちりとした黒い瞳にぶつかった。
「ぅ、えっ…?」
カカシが何か言おうとする前にイルカの手がゆっくりとカカシに向かって伸ばされた。思わずそれに反応して握り飯を取り落としそうになり、慌てて包みに突っ込んでからイルカの手を取る。
ちゃんと握り返してくれる手。
「…カ、シ…」
長く声を出していなかった声帯は上手く音を紡げないのか、イルカはケホリと咳をした。そばに置いてあった吸飲みで少し水を飲ませてやると深く息を吐く。
「はぁ…」
「匂いにつられた?」
「違っ…」
包みを持ち上げて見せてやると薄っすらと顔を赤らめて向こうを向く。ここしばらくの間見てきた色のない顔を思い出すと夢のようだった。嬉しくてついついからかってしまう自分も仕方ないことだと心の中で言い訳し、それでもこちらを見てくれないのはつまらないから宥めてみる。
「ごめん、冗談だから。こっち向いてよ」
「変なこと言うから…」
「ホントごめんって。身体はどう? どこか痛いとかある?」
「いえ、痛くはないです。ちょっとだるいですけど…」
肘を支えに起き上がろうとしたので手を貸して枕を動かし背もたれにしてやる。触れた身体は想像以上に筋肉が落ちていて、元のイルカの身体と比べるとあまりにも痛々しかった。
それでも自分の言葉に反応し答えを返してくれることがこれほどまでに嬉しいものなのかとカカシは思い知った。見上げるイルカの目が真っ直ぐに自分を見上げていてますます嬉しかった。自分を知らない人のように見ない目。
――ああ、還ってきた…。
「おかえり…」
思わず言うとイルカは「はい」と微笑んだ。
「イルカ、あの、俺」
「ごめんなさい」
カカシが口を開くのと同時にイルカが頭を下げた。見ればシーツを握り締めた指が僅かに震えており、表情は下りた髪に隠れて見えないが想像に難くない。
「最後まで、って、言ったのに。俺、約束破った…」
思わぬイルカの言葉にカカシは虚をつかれたが我に返ってその手を上から握り締める。そして慌てて言わねばならないと決めていたことを口にした。
「違う。謝らなきゃならないのは俺なんだ。イルカの心がここにないのをわかっていて酷いことをしたから」
握り締めたままの手をイルカの胸に当て、厭われるかもしれないと思いながらも包み隠さず告白して謝った。が、イルカは緩く首を振った。
「知ってます。彼の目を通して全て見ていましたから…。俺、本当はカカシさんを抱きしめたかった。あんな顔させたくなかったのに。もっと早く還れば良かったのに、こんなに遅くなってしまってごめんなさい」
知っているという言葉に肝を冷やしたが嫌われていないことに胸を撫で下ろす。そして寝台に腰掛けて悄然としたイルカをそっと抱きしめた。
「そんなこと。還ってきてくれて、嫌わないでいてくれてありがと…」
カカシの胸元でイルカがぽつぽつと話し出す。
闇の中で出会った懐かしい人のこと、走り続けて見つけた光のこと。全てが自分に向かっていたことを知って待ちきれなかった自分を恥ずかしく思い、そしてそれさえもがイルカを呼び戻したと思うと更に愛しさが募る。
全身全霊で自分と共にあろうとするイルカ。
自分もそれに応えられるように。
抱きしめる腕に力を込めるとイルカも抱きしめ返してくる。だが今はもう少し休ませてやらないといけない。
「少し横になりましょうか。三代目に知らせてきます」
「はい…お願いします。三代目やイビキさんにも心配をかけてしまいましたね…」
「誰もイルカの所為だなんて思ってないから大丈夫」
「カガミさんにも…ちゃんと出来なくて」
「俺としては奴に対していい気持ちはないしね、イルカが気にすることじゃないよ。でもまあ、あいつ関しては火影様がちゃんとしたらしいから大丈夫」
「…そうですか」
イルカは溜息を吐いた。任務に関して完全に遂行できなかったという忸怩たる思いがあるのだろう。しかしあれが事の発端と思うとカカシには忌々しい思いしかなかった。正直二度とこんな思いはしたくないのだが、これはイルカの里の忍としての任務であり自分に辞めさせる権利などない。任務を否定することは侮辱にもなる。
だが、もしもまた同じようなことが起きた時には。
「じゃあ、ちょっと行ってくるね」
「あ、カカシさん…」
「ん?」
「あの…、これからも…」
「これからも宜しくね」
カカシに言葉を継がれてイルカは安堵したように笑った。そしてカカシも同じように。
――今度は大丈夫だから。


□■□■□


三代目に母のことを話すと「そうか」と穏やかな、しかし哀しげな顔をして頷いた。もしかすると母の時も何か似たようなことがあったのかも知れないとイルカは思う。
イビキは何も言わなかったが冗談めかして「匂いにつられたみたいだ」と話すとニカリと笑って肩を叩いた。

その後もイルカは何度か《揺らす》任務に就いている。だが最近では教職の研修がますます多くなり、近々アカデミーに正式に配属される予定になった。
カカシは相変わらず顔を出すが気配を消す気遣いを見せるようになった。少し角が取れたということだろうか。本人曰く余裕が出来た、ということだが。

「イルカせんせーい!」
「おう!」

遠くから呼ぶ声が聞こえて、イルカは歩き出した。



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(2005.12.17)

ひー!(汗) ようやく完了です。足掛け10ヶ月…、読んで下さった方にはさぞや苛々されたことと思います。本当に申し訳ありませんでした。生来のいい加減さに加えて書き始めてから色々と環境の変化があり、ますますドツボに嵌ってしまった結果です…。
正直終わって物凄くほっとしています(苦笑) 読んで下さってどうもありがとうございました。





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