水を抱く手





「カカシさんは贈り物のセンスがいいですねえ」
 何気なく言ってしまってから、しまったとイルカは思った。
 誉めたつもりだったが、嫌味にも催促にも聞こえてしまう。
 だが、カカシはそんなことは気にもとめず、自分が贈り物を貰ったみたいに嬉しそうに微笑んでいる。
「そー言って貰えると嬉しいデス。なんたって、イルカ先生の喜ぶ顔が見たくて選んでますかーらね〜」
 こんなことを言われたなら、女性は蕩けてしまうんだろうな、とか。でもオレなんかに向かって言うこの人の脳こそとろけてんじゃないだろうか、とか。 カカシを見返し、そんな失礼な考えがイルカの頭を巡っていく。
「はあ、そうですか」
 とりあえず、あまり冷たくなりすぎないように気をつけて、返事だけはした。
 忍者には戦って人を殺したことしか残らない──否、時には生きた痕跡、記憶すら残せないことだってある。 大事な人からの贈り物だって、跡形も無く処分しなければならない時がくるかもしれない。
 だからこそ、アカデミーで教える子供たちや受付で出会う依頼人の笑顔や一言の礼を、イルカは大切にしてきた。
 確かにそこに存在する自分へ向けられた思いを。
 贈り物も、貰って嬉しいのは気持ちがこもっているからだ。物の価値ではない。
 ただ、この男から向けられる想いは、素直に喜んではいられなくなっていた。
 一体、何時からだったか。自分へ向ける感情が、あまり一般的でない方向へ傾き始めたのは。
 いや、もしかしたら気付かなかっただけで、最初からそうだったのか。初めて気付いたときも、ずいぶん長いこと自分の勘違いだと言い聞かせ続けたのだし。
「イルカ先生」
 二人きりでいる時、カカシがイルカを呼ぶ声は、どこか甘い。
「ね、もうすぐお誕生日デショ?」
 ナルトにねー、聞いたんですよー。と、含み笑う姿に、何故だか無気味さを感じる。特に、手元に強い視線を。
「ナニが欲しいデスかー?」
「いえ…」
 あなたから頂く理由はありません。
 そう言いたいのだが、ついさっき別件の贈り物を受け取ったばかりなので、とても言えない。
「今、頂いてしまいましたから…」
 そう言ってみるが、これは弱いなとイルカも分かっている。
「それはこないだのお礼って言ったでしょ?」
 先日の食事のお礼に、任務帰りに立ち寄った宿場で『六角箸』を見つけてきてくれたのだ。 六角に削られたこの箸がすごく使いやすいと、いつか酒の席で何かを掴み損ねた流れでイルカが話題にしたのを覚えていて。
 しかしその食事は、お土産にいい地酒を頂いたお礼として誘ったものだ。更にその地酒も、アカデミーの教本か何かを貸したお礼にと持ち込まれたのである。
 まだ知り合ってそれほど経っていないのに、なんやかやと理由をつけて、カカシが家に入り浸るようになっていることからして不可解だ。 二人の接点はあまりにも少ない。まあ、それが返って良かったのかもしれないが──。
「それにね、イルカ先生」
 箸の入った包みを見つめ、自分の考えに耽るイルカの顔を覗き込むように、カカシが顔を近づける。 額当てと口布で殆ど覆い隠してるっていうのに、鼓動が跳ね上がるのは、その下に隠された造作の良さを知ってるからか、それとも別の理由か。
「オレが、イルカ先生のお誕生日をお祝いしたいんです」
「………」
 今度こそ、イルカは完全に言葉を失う。
 こんな真剣なカカシの声を聞いてしまっては、正直に言うしかなくなる。
「あの…」
「はい」
「あまり、頂いてばかりなのも申し訳ないですし…。実は、今これといって欲しい物はないんです」
 イルカのの言葉に、カカシは明らかな落胆を見せた。欲しい物はないということが言い分けでなく、本心だと分かったからだろう。
「だから…」
 言うべきか、これまで散々迷った言葉を、とうとう口にする。
「そのお気持ちだけで、いいです」
 これは賭けだ。
 カカシがごく普通に受け取ってくれればいい。しかし、曲解されたら、多分もう逃れられない。
「分かりました」
 静かな声でカカシは言う。
「でも、お祝いだけさせてくださいよ。イルカ先生の好きなあの大吟醸用意しますから、二人で飲みマショ? ね?」
 最後だけ、いつもの調子で小首を傾げさせるカカシに、イルカは覚悟を決めて頷いた。

     * * * * *

 そして、5月26日。この日もイルカは朝からアカデミーでの授業、受付での報告書の受理といった仕事をこなした。
 まだ初夏だというのに夕方になっても気温がなかなか下がらず、歩いていると蒸し暑ささえ感じる。 商店街で買い物を済ませ、普段より大目の食料品と、アカデミーや受付で渡された物を両手に下げて自宅へ戻った。
 傷みやすい物だけを冷蔵庫へしまい、同僚や教え子たちから渡されたささやかな贈り物を書き物机の傍らに置く。 その整理はあとにして、また──仕切りもないワンフロアでは給湯スペースでしかないが──台所へ戻る。
 米を研いで炊き、汁物と焼き魚は支度だけして、簡単なつまみも用意した。小さな一人用のささやかな食卓を見渡し、あることが気に掛かった。
 向き合って置かれた2膳の箸も、中央で数種のつまみを持った平皿や取り皿も、カカシから貰ったものだ。
───この前お伺いしたとき、こーゆーのあったらって話してたデショ?
───出先でちょうどいいの見かけたんですー
───先日お呼ばれしちゃったお礼でーすよ
 そんな言葉で持ち込まれた食器ばかりが、目の前に並んでいる。 狭い机上を補うように調味料や予備の食器を収納して脇に置いたワゴンは、カカシが入り浸るようになって増えたものだ。 ただの友人──と言うには、ずいぶんと深く、カカシは入り込んできている。
 そろそろか、と思った途端に、戸を叩く音がした。
「イルカせんせいー」
 はい、と返事をしてから玄関へ立ち、イルカは戸を開ける。
「いらっしゃい、カカシさん。どうぞ、入ってください」
「はいー、お邪魔しますー」
 約束したとおり、イルカが好む銘酒だけを持ってきたようだ。酒のビンを食卓へ置き、カカシはいつもの場所へ座る。 腰をおろすのとほぼ同時に、額当てを取り、口布を下ろすのへ、お絞りを渡してやった。
「どうぞ。今日は蒸しましたから、汗かいたでしょう」
「ありがとうございますー。でも、あんま気つかわないでくださいね〜」
 今日の主役はイルカ先生なんですから。
「さ、座って座って〜」
 そう言ってイルカを手招く。にこやかな笑顔は妙にすっきりと穏やかで、普段のカカシしか知らない人間には別人と思える程だ。
 そのギャップにもいつの間にか馴れた自分に薄く笑って、イルカは冷やしておいたグラスを食卓へ運ぶ。
「ふふー。やっぱり、それ、出してくれましたね〜」
 揃いの、深い藍色の地にサクラの花が切り込まれたどっしりとしたグラス、カカシが最初にくれた物だった。 初めて食事に誘った時に、今日も持ってきた酒と一緒に。
 もう桜の季節はとうに過ぎてしまったけれど、カカシと飲む時はこのグラスだと思って用意しておいたのだ。
 腰を落ち着けたイルカのグラスへ、まず注いでやりながらカカシが呟く。
「嬉しいなあ」
 コレね、任務帰りに立ち寄った店で見かけたんです。
「見た瞬間にね、なんでか、イルカ先生の手に似合いそうだな〜って思ったら…買っちゃってましたよ」
 ははは、と声だけで笑うカカシを、ぽかんとイルカは見た。
 確かにこのグラスは手にしっかりと馴染む大きさだけれど、似合うというのとは少し意味合いが違う。
「それで、どーしてもイルカ先生と飲みたくなって、ついでにこれも買って」
 注ぐ手を止め、照れた声でぽつりと続ける。
「どーやってウチに誘おうかとか、いや、先生んチにお邪魔しよーかって、随分悩んだりもしましたねー」
「で、結局はオレがお誘いしちゃったってワケですね」
「ええ。あん時は助かったし、すっごく嬉しかったですー」
 イルカもカカシのグラスへ注いで、二人はグラスを目線へ掲げた。
「お誕生日おめでとうございます、イルカ先生」
「ありがとうございます、カカシさん」
 乾杯とは言わず、グラスも合わせず、二人は同時にグラスへ口をつける。一口含んで、味わい、ともにほうっと息を吐いた。
「うまい、ですね」
「ええ」
 感に堪えないといった声を漏らし、その酒を味わう。
 1杯目をすいすいと飲んでしまったイルカのグラスへ、カカシが2杯目を注ぎいれる。 ただの水よりもとろりとして見える酒に藍と桜が揺れる様を、イルカは見ていた。
「ありがとうございます」
 その言葉で、カカシはビンを引いた。
「あの、今日、わざわざ祝っていただいちゃって。いつも頂くばかりで、オレとしては少し気が引けるんですが…。 それでも、あなたがオレに気をかけてくれるのは本当に嬉しいんです」
 だけど、分からなくて。イルカは眉を寄せ、鼻筋を渡る傷を無意識に掻く。
「どうして、あなたがオレに、こんなによくしてくれるのか」
「イルカ先生」
 口に運びかけていたグラスを置き、カカシはイルカの言葉を遮った。
「ごめんね」
「…カカシ、さん」
「それはオレに…オレから、言わせて」
 少し、姿勢を正して、イルカを見つめる。
「イルカ先生」
「はい」
「オレ、あなたが好きなんです」
「知ってますよ」
 そう答えると、一瞬だけ目を丸く見開いて、それからすぐに真剣な顔をした。
「ふざけてるんでも、友情とかでもないって?」
「分かってましたよ」
 だって、とイルカはグラスを持った手を、カカシの顔の前に差し伸べる。
「あなた、ずっと、オレの手を見てたじゃないですか」
 受付で書類を処理するとき、一楽でラーメンを啜ってるとき、ナルトの頭を撫でるとき、こうして二人でグラスを傾けるとき。
「オレの手だけ、獲物みたいに、見てたでしょう?」
 いつものペースで2杯目を空けながら、悪戯っぽい笑みをイルカが浮べた。
「それで? カカシさんはどんな関係を望んでるんですか?」
「…参ったね、こりゃ」
 カカシは目を細めて、ばりばりと後頭を掻く。
「ま、ぶっちゃけイチャイチャしたいです」
 最初の告白としてはぶっちゃけ過ぎなんじゃねえか、と心の奥でツッコミつつ、イルカは表情を崩さすに返した。
「オレの気持ちはともかく、ですか?」
「いえ、それはっ! …イルカ先生も、同じ気持ちでいてくれたら、嬉しいデス」
 慌てて言い直す口調は、弱気だ。
 心なしか小さく見えるその姿に苦笑して、イルカはグラスを置いた手を再びカカシへ差し伸べた。
「カカシさん」
 グラスで冷えた──しかし芯にに火照った熱を孕んだ指で頬に触れると、可哀想に思えるほどカカシが緊張しているのが分かる。 身を乗り出し、腕を首の後まで回して引き寄せる。
 近付く、驚いた表情。
「オレも好きですよ」
 あっけに取られているのか、ぽかんと開いた口を、塞いだ。
 息を送り込むように、深く、口付ける。軽いアルコールの匂いと、微かな体臭を感じる。離れ際に、唇を軽く舐めていくイルカの舌をカカシが追った。 逃すまいと、自分の首に回った腕を捕らえ、また唇を合わせる。角度を変え、深さを変え、何度も。二人の間で、小さな食卓ががたんと揺れた。
 更に深いところへ火をつけかねない長いキスを押し止め、イルカはカカシの唇から逃れる。
「…カカシさん、場所、か…」
 言葉が途切れたのは、カカシに回していた手に濡れたものが押し当てられたからだ。
「思ってたとおりだ」
 唇と舌が、イルカの指をいとおしそうに味わっている。
「イルカ先生の手、気持ちいいです」
 自分で濡らした手に頬を寄せ、カカシがうっとりと呟いた。
 イルカも濡れた頬を撫で、もう一方の手でカカシの額を撫でる。
「カカシさん」
 さっき言い損ねた言葉を告げた。
「場所、変えましょう」
 本当に、文字通り丸くなるカカシの目に、イルカは微笑んだ。





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イルカ先生男前です。でもしっとりと優しい雰囲気があって素敵です〜♪ どうもありがとうございました!


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