夏の少し前





教員室を出たイルカはくるりとむきなおり、おじぎをして戸をしめた。
 そのまま廊下を走って階段を下り、つきあたりの教室にとびこむ。抱えていた用具箱がかたかたと鳴っていた。
「ふう」
 イルカは小さくためいきをついた。
 週末、午後の教室には誰もいない。窓から鮮やかな新緑が見える。なんてきれいに晴れているんだろう、とイルカは思った。
 放課後の教室は不思議なにおいがする。 廊下側から2列目の一番前がイルカの席だった。机の中に用具箱をしまいながら、幻術担当の先生の言葉を思い出す。
「どうしてかなぁ。君だけどうしてこんなに遅いのかなぁ」
 イルカは幻術が苦手だった。
 卒業間近の課題である幻術用の香の調合も、他の者はそろそろ最後の乾燥に入ろうとしているのに、イルカ一人、最初の段階で手間取っていた。
 だから今日の居残りだって、しかたのないことではあった。
「忍者を目指しているのだから幻術も下手では困りますよ」
 先生はそうも言った。確かにそうだ、とイルカは思う。
 忍者になるのだから、幻術も知識だけじゃなくできるほうがいいに決まっている。
 イルカは椅子に腰掛けたまま、大きく伸びをしてみた。
 真新しいはずなのにところどころ泥汚れの目立つ服から、傷だらけの足が2本、のぞいている。
 開け放した窓から、5月の風が胸元を通って吹きすぎる。
 この学年に上がって1ヶ月。
 女の子はみんなくのいちクラスへ編入されてしまったから男の子ばかりだ。当たり前のことを思って、もう一度ためいきをついた。 せめて練習を見てくれる人がいれば──。
 校庭から、まだ忍者ごっこに興じられる下級生の声が聞こえる。
 そう言えば、あの子は今頃どうしているんだろうか。イルカは唐突に昔何度か会ったカカシを思い出していた。
 父親に連れられて初めてイルカの家に来た頃にはもう額当てをしていた。 口元を覆い隠している無口な子であまり話もできなかったけれど、銀色のぼさぼさ髪に日が透けるのが綺麗で、イルカはずっと憧れていた。
 最後に会ったのは、誰かのお弔いの時で、ずっと隣りに座って手を握り合っていたっけ。カカシは覚えているだろうか。

   ははそはのははもそのこも、
   はるののにあそぶあそびをふたたびはせず。

 教養の教科書にでていた詩の最後の2行が、何とはなしに口をついてでた。"いにしへの日は"という詩だった。
 詩の意味はよくわからなかったが、イルカはきれいな言葉だと感じた。
 はるののにあそぶあそびをふたたびはせず。
 春の野に遊ぶなんて、忍者には似合わないな、と思いながら3度目のためいきをついた。
 いきなり教室の戸があく。戸口には背の高い男が立っていた。
「なーにしてんです」
 男は、拗ねたようにそう言った。
 木ノ葉隠れの忍服姿のその人は、すっかり大人になっていて額当てと口布で顔の殆どを覆い隠しているとはいえ、カカシに間違いない。
「ほーら。行きますよ」
 そう言われて、イルカは思わず、はいと素直に返事をしていた。
 立ち上がった自分の姿に、イルカは声をあげて驚いた。大人なのである。その人と同じように木ノ葉の忍服を着ている。
「たった今までアカデミー生だったのに」
「そうなんですか? ま、オレはアカデミー通った記憶が殆どないんで」
 男の人は笑って、さみしそうにそう言った。
「さ、早くしないと、表でナルトが待ってますよ」
 ナルト。ナルト。イルカは男のあとについて歩きながらぼんやりと考えた。
 ──そうだ、ナルトはオレの教え子だったんだ。全く、どうして忘れていたんだろう。
 オレはカカシさんと付き合ってんだ。
 アカデミーで教えていたナルトを介してもう一度知りあって、今日は週末で昼を3人で食べにいく約束をしたんだ。 カカシさんとナルトが任務の後に迎えにくるって言っていて、アカデミーで二人を待っていて──そうだ、思い出した。
 ナルトは、アカデミー前のブランコで待っていた。
「悪い、悪い、待たせちまったな」
「イルカ先生、遅いってばよ」
 しゃがみこんで、ほっぺたを膨らませてみせるやんちゃそうな男の子を見て、なんて素直で元気のいい子だろうと、イルカは思う。
 カカシと二人で、両側からナルトの頭をなでて歩きながら、なんとしあわせなのだろう、とも。
 頭の上には夏空が広がっている。
 しばらく歩くと、向うから見慣れた格好の上にベストを羽織った少年が近付いてきた。
「お。ナルト」
 カカシが片手をあげて声をかけた。
「どこ行くんだ」
「任務だってばよ」
 あれっと、イルカは思った。
 すんなりと背の伸びた、この少年は確かにナルトである。ではナルトのつもりで手をひいてきた、この小さな子供は誰だろう。
「いいなぁ、サチはイルカ先生とお散歩か」
 うらやましそうににかりと笑って、少年が言った。
 サチ……そうか、サチだ。ああ、しっかりしなくちゃ、とイルカは思った。女の子を一人、預かっているんだった。
「ほら、遅刻するぞ。早く行きなさい。…気をつけてな」
 知らないうちに口から飛び出した教師らしい言葉に、イルカは自分でどぎまぎした。
「はぁい」
 少年は妹分の頭を撫でてから、走り去っていった。
 3人が大通りの手前に差し掛かると、すぐ左手のきんもくせいが、匂やかに咲いている。
 再び歩き出そうと、イルカがサチの手を引こうと手を伸ばすと、華やいだ声がした。
「なあに」
 振り返ると、そこにはイルカとさほど背の変わらないサチが立っている。
「どうしたの、とおさん」
 とおさん!! なんということだろう。イルカは愕然として、自分の育てた娘を見つめた。
「手、放してよ。私、もう行かなくちゃ」
 これが、あの、小さなサチだろうか。
「なーにしてんですかー」
 大通りの向こうで、カカシが呼んだ。
「あ。はい」
 イルカはサチの手をはなし、急いで通りを渡った。
「オレ、今、小さい子の手をひいていたのに」
「オレがおぶってますよ。ヒヨリはすぐ眠たがるんですね」
 見ると小さな男の子が一人、カカシの背中で眠っていた。
 ヒヨリ……ああ、ヒヨリか。ナルトは駆け落ち同然に結婚して5年にもなり、夫婦して忙しく任務に追われている。
 二人ともに任務にでなくてはならない時は、こうしてヒヨリを預けていくのだ。
 奥さんの実家とも仲直りをしたのだから、そちらへ頼めばいいものをと言いながらも、孫のようなこの子がかわいくてつい、にこにこと預かってしまう。
 イルカはカカシの透けるような銀だった髪の半分ほどが白髪になっていることに気がついた。
 やせた手はごつごつして、しわだらけだ。そしてふと自分の手を見れば、やっぱりカカシに劣らずしわだらけだった。
 そうか、ずいぶん年をとってしまったんだな、とイルカは思う。
「重いでしょう」
「はは。まだまだ平気ですよ。若い頃はこれでも暗部で、他国のビンゴブックにだって名を連ねてたんですから」
 カカシは、少年のような目で笑った。
「ははは。そうでしたね」
 ふうわりと、雪が落ちてきた。
 ふうわり、ふうわり。
 あとから、あとから。
「オレね」
 歩きながら、イルカはぽつんと言った。
「オレ、ずっと長いこと、こんな光景に憧れていたような気がします」
「こんなって、どんなです」
「こんなって、こうして……」
 言葉を探しているイルカの目の前に、やけに顔色の悪いクラスメイトの顔があった。
「うわぁ。ハヤテ」
 ハヤテは、一つ上だけれど同じ学年で、痩せて顔色の悪い子供だった
「こんなって、どんなです」
「……なんでもない。って、ハヤテなんでこんな時間に」
「資料室で調べ物をしていたんです。それよりあなたこそ、こんな時間まで何を」
「残されてた。幻術」
「ああ。でも、週末に居残りとはついてませんね」
 ハヤテは失礼とイルカの肩に手をのばした。
「おや」
「なんだよ」
「今、あなたの肩に白いものがのっかていたんですが、とろうとしたら消えてしまったんです」
「ああ、雪」
 ぽかんと、ハヤテは呟く。
「まさか」
 うくく、とイルカは笑った。
「そんなワケないよな」
「…ええ。どうです、一緒に帰りませんか。すぐしたくします」
「うん」
 ははそはのははもそのこも、か。
 イルカは小さく呟いて、夕方の日差しに目を細めた。





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