黒紅





頬に何か温かいものが触れている。最近感じたことのない感触。それは頬を撫で、額に滑り、髪を梳いた。
とても。
心地いい。
昔、感じたことのある…。
確かめたくて目を開けたつもりがそこは暗闇で、ああ、これは夢なんだと思う。
夢?
いや、自分はもう死んでしまったのかもしれない。
そう思ったが、指先がピクリと動いたのがわかって、そのまま糊の利いた布を撫でる。その瞬間髪を触っていた気配が消えた。
ああ、もう少し。
もう少しだけ触れていて欲しい。
そう考えながらまた意識は深い処へ沈んでいった。



□■□



「うみのさん、うみのさん、聞こえますか?」
遠くで自分を呼ぶ声が聞こえる。一瞬の後、イルカは急速に覚醒した。
相変わらず目の前は薄暗くて何も見えない。
「うみのさん、気が付かれましたか?」
繰り返される問いにイルカは口を開いた。
「あ…、ここは…?」
「暗部の医療棟です。あなたは毒のダメージで2日間意識不明でした」
てきぱきと話しているのは暗部の医療班の医師だろう。
そうだ、毒! 俺は目に毒を浴びて…。
思わず目元に手を当てるとそこには包帯が巻かれていて、さらしの乾いた手触りがした。瞼の辺りを辿る俺に医師は続けた。
「毒は目を潰すための物ではなくて、一時的に見えなくする為の物でしたからそのうちに回復します。もう明るさはわかる頃ですね。それに応急手当されていましたし、ここに連れて来られたのも早かったので治療もすぐ出来ました。身体への影響もそれぼど心配することはありませんよ」
医師の言葉を聞きながら、カカシが自分をここに連れてきたのだと知る。
あの時、どうしたっけ…。
そうだ、カカシが。

「あんた、何諦めてンの」
「きったない顔して…」
「そうやって死んでくつもり?」

そう言ったんだった。
それから…急に意識が途切れて、後は何も覚えていなかった。
すると、カカシはあの状態の自分に応急手当をして、担いで帰ってきたのか。完全に意識のない人間を。
俺は…あの場に捨てられても仕方ないと思ったんだよな。
「とりあえず、あと2、3時間もしたら包帯をとって様子を見ましょう。それまで安静にしていて下さいね」
そう言って医師の気配は部屋の外に出て行った。
――生きてる。
いや、生かされた。
あの時、銀朱が来なければ自分は間違いなく死んでいただろう。訓練もしていない眼の見えない忍が現場で生き残れるわけがない。
カカシが自分の所へ来たように…、自分は礼をしに行けるのだろうか。
あんな風に諦めた自分がカカシの前に立てるのか。
真朱の事で自分はカカシを責めたが、自分にその資格があったのか。
それをぐるぐると考えながら、再び眠りに落ちた。
夢の中で、再び温かい手に触れたような気がした。

短い眠りの後、再び医師が来て包帯を外した時には、イルカの眼はほとんど回復していた。薬の所為でいつもより眩しさ加減がキツかったが、それ以外は特に不自由はなく見る事ができた。明るさに滲む涙を拭きつつ、自分をここに連れてきて人間とその様子を尋ねた。
それはやはり想像していた人物だったが、大きな怪我などはなかったことを聞いて安堵する。そして何度かこの病室を訪れていたという言葉に驚かされた。ここまで連れて来られただけでも驚きだったのに。今までの自分の態度も大概のものだったし、向こうもはじめのころの様に大した接触を持ってきていたわけでもない。
木の葉の仲間として里まで運ばれたのは、まあわからないでもないのだが、とても見舞いに来るというタイプには見えない。
ふと、夢の中の手を思い出した。
でもまさか。
あんな気持ちになるのがカカシの為だとは思えなかった。
安心した、だなんて。



□■□



翌日病院を出たイルカは、どうしようかと悩んだ挙句結局三代目の屋敷に向かった。考えてみればカカシに会おうにも今までは任務時にしか顔を合わせたことがなく、どうしようかと考えあぐねたたからだ。三代目の元へ行けば何がしかの情報が得られるかもしれない、そう思っての行動だった。
イルカの拙い探りを、三代目は眼を細めて見るばかりだった。
それに焦れたようにする姿に老翁は咳払いをしながら部屋の陰を見た。
「聞いたか、カカシよ。お主の心配したようなことはないようじゃの」
陰から出てきたカカシに気付かなかったイルカは顔を赤くした。暗部にいる自分が気配も気付かないなんて…。
また呆れられると思うとイルカの背中が竦んだ。
その後姿に向かって小さく溜息が落ちる。
「あんたは俺が怖くないんだと思ってたけど…」
「こっ、怖いわけなんてないじゃないですか!」
カカシの言葉に思わず反論する。怖いだなんて一度も思ったことはない。俺が思ったのはそんなんじゃなくて…。
「あの、御迷惑おかけしてすみませんでした。私の力不足です」
深く頭を下げると、居たたまれなさがますます募った。先般の自分の失態をカカシは三代目に報告している事だろう。
里へ帰ることを半ば拒否したことを。
生きるのを諦めたことを。
三代目とカカシが自分をどう見ているのかと考えると顔を上げられない。暗部として忍として相応しくない行動をとった俺を軽蔑しているかもしれない。
「イルカよ、まだ完治ではないのじゃから、一旦自宅待機じゃ。よいな」
「は。…御前失礼致します」
三代目にそう告げられてイルカは俯いたまま執務室から退出した。
廊下を歩きながら、二回目にカカシと組んで任務に着く前に三代目の執務室から出たイルカを追ってきたカカシを思い出した。あの時はまだカカシという忍の本当の戦いぶりを知らず、真朱の事だけを拘っていた。
イルカは溜息を吐いたが、気合を入れるために自分の頬をパン!と叩いた。
「わ…」
後から声がして慌てて振り返るとそこにはカカシがいた。
「あ…、どうも。さっきは…」
イルカが再び頭を下げると、カカシはポケットに手を突っ込んだまま近付き、覗いている右目を細めて言った。
「この前みたいに怒鳴ってる方があんたらしい」
「なんですか、俺らしいって!」
思わず言い返した。
俺らしいって何だよ。俺にだって俺のことがわからないのに。
何だかよくわからないけど頭が混乱して口を開きかけてまた閉じる。じわじわと涙が滲んできて鼻の奥がツキンと痛んだ。こんな顔を見せるのが悔しくて、後ろを向いて足を進める。その俺の腕をカカシが掴んだ。
「逃げる事ないじゃない」
腕を引かれて振り返ったイルカの目に涙が溜まっているのを見て、カカシがギクリと動きを止めた。
「な、何…?」
「…何でもありません。離して下さい」
離れようとしたイルカをカカシは許さず、引き寄せてもう片手でイルカの顔に手を伸ばした。
それは頬を撫で、髪を滑った。
ああ、あの時の温かい手だ。目を閉じたイルカの頬に涙が落ちる。
「俺が寝ている間に来ましたか?」
「…うん。なんだ、バレてたんだ」
「夢…だと思ってました。でも、その手が」
「真朱みたいだった?」
「…っ、……はい…」
いつの間にかカカシの口布は下ろされ、手が背中にまわされていたが気にはならなかった。
「真朱の真似したんだ。あんた苦しそうな顔して寝てたから。あいつ、俺がへばった時、たまにああいう風にしたから…」
「そう、ですか…」
「真朱の話、しようよ。あんたそのままじゃ壊れてしまいそうだ。全部聞いてあげるし、知らないことは教えてあげる。この前みたいなことはもうダメ。俺の目の前でなんか、もう死なせやしない」
カカシが誰を指しているかなんて、もう俺にだってわかる。きっとカカシも失ってすごく苦しかったんだろう。
イルカはぐっと目を閉じてからカカシの胸を押し戻した。そしてカカシと真っ直ぐに目を合わせる。
「俺、話しだすと長いですよ」
イルカの言葉にカカシは破顔した。

それはイルカにとって初めて見るカカシの笑顔だった。





END


(2004.10.06)

スレイルカを書く筈が、何故かスキンシップに弱いおこちゃまイルカ方向へ…あぅ。
ここで一旦終わりにしまして、今度はカカシサイドから進む予定です。もっとらぶらぶにします(笑)
読んで頂いてありがとうございました。






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