家守綺譚






 この庭から見える風景といえば様々な草木が勝手放題に伸び育っている図だ。前の持ち主の代には定期的に庭師が入って整えられた佇まいだったが、今はその面影もうかがえない。元は先代の火影が息抜きに来る庵であったが現在の火影には必要がないと見えて、自分が家の守を預かったのだ。
 興味がないとはいえ三代目の持ち物、ただ朽ちさせるのは悪いし勿体無い、せっかくの庵も人が訪れなければ寂れてしまうからいっそ誰かを住まわせて管理させてしまおう、ということだったらしい。自分の名は子供の口から簡単にその耳に入ったことだろうと思う。
 教員である自分は当然ながら身の丈にあったアパート住まいであったし、その家は通勤に不便になるほどアカデミーから離れているわけではなかったから有難くその話を請けることにしたのだ。
 本当のところを言えば、そこは自分が幼い頃に今は亡き両親と共に何度も訪れたことのある馴染み深い家だった。三代目には大層可愛がってもらったし、せまい借家より一軒家のほうがのんびり出来るにきまっている。そのうえ金がかからないというのは大層魅力的だ。息抜きに建てられた物だから広さもさほどではなく、単身者である自分であっても持て余さないで管理できるであろうという考えもあった。
 庭の手入れは好きにすればいい、ということだったので自分に出来るだけの最低限の事をしていたら半年余りで今のようになってしまった。今年は天候が優れていたし雨も多かったから奔放に伸びたのだろう。
 家の近くには川がありそこから水が引かれて庵に設えられた縁側のすぐ傍で池になっている。川から流れ込むのか釣り糸を垂れれば何某かの魚を釣ることができるのが三代目の楽しみであったのだろう。とはいえ自分も小さい頃に誘われて糸を垂れたが子供の忍耐力のある間には釣果がなかった記憶がある。

 隣家の婦人が引っ越してきた日に蕎麦を振舞ってくれた。本来なら自分が配るものをと恐縮すると品のいい微笑で首を振った。
 ―――若い方が越してこられただけで心強いのですからお気になさらず。
 ―――気が回らずにすみません。
 かりかりと顔の傷を掻きながら俺は頭を下げた。
 ―――これから頼りにしておりますから。
 そう言ってまた婦人は笑った。婦人は三十年も前から夫君と二人で当地に住んでいるが、三代目とは逗留に来れば茶を飲みにと行き来するような付き合いだったのだという。
 ―――いらっしゃらなくなってすっかり淋しくなりましたねえ。
 遠くを見るように回想する人に、自分たちのような生業のものが住んでいて不都合はないのですかと聞くと、暗部の方も居られましたからという。里長であれば当然のことであろう。だが今回はそうもいかない。自分はしがない教員だからそのようなものは付きませんがと口を濁すと、今までは大丈夫であったし何が起きようとももう悔いがないほど生きましたから、と返す。なんとなく切ないような気分になって俯けば、可笑しな事を言ってしまいましたねと腰を上げ茶を入れ直してくれた。

 夜半から雨になり思いの他風が強まってきた。雨戸を閉めずに居たため硝子戸がガタガタと音をたてているのを面倒とばかりに放っておくと、ガタガタとなる音にまざってコツコツと硝子を叩くような音がする。こんな夜更けに式でも来たのかと覗きに行けば何かが夜陰に紛れて去っていった。しばらく窺ったが戻る様子もないので、そのまま部屋に戻って布団を被り読みかけの本を開いた。これだけ雨風が強いのでは雨戸を閉める間に縁側がびしょ濡れになるだけだと手間を厭うたのだが、多分に一人住まいの横着さも手伝っていた。
 さて本格的に寝るかと枕元の灯りを落そうとした時、キイキイと音が鳴りはじめた。また硝子戸かと思ったがよくよく耳を澄ませば隣の部屋の床の間辺りから響いてくるような気がする。三代目が手慰みに描いた掛け軸がある辺りだ。そうっと襖を開いて見てみれば掛け軸がさわさわと揺れ、描かれた図が変化している。記憶にある図は昼間の風景だったのが夜の雨模様に変わっており葦の繁った川を一艘の小船が渡ってくる。幻術にでもかかったかと目を擦ったがそうでもないらしい。此方岸に着いた船から下りて掛け軸を跨ぎ出てきたのが三代目なのには驚いた。
 ―――三代目。
 思わず声をかけた。
 ―――逝ってしまったのではないですか。
 ―――なに、雨に紛れて漕いできたのじゃよ。
 三代目は事も無げに言った。以前から置いたままにしてあった安楽椅子に腰掛け、煙管に火を入れながら言う。
 ―――会いにきてくれたんですか。
 ―――そうじゃ、会いにきたのじゃがな、今日はあまり時間がない。
 ぷかりと煙を吐く。
 ―――カカシがの、お前に懸想しておる。
 ―――は?
 もしかして先程の硝子を叩く音がそうであったのか。
 ―――男に惚れられたのは初めてです。
 ―――男に、は余計じゃろう。惚れられたのは初めてだ、だけで十分じゃ。
 三代目は生前と変わらぬ口調で俺ををからかう。
 ―――う、余計なお世話です…。で、どうしたらいいと。
 ―――お主はどうしたい?
 そう聞かれて俺は考え込んだ。実は今までにも思い当たる節は多々あったのだ。自分が受付にいると必ずその列に並ぶし何度も食事に誘われた。教え子の事もあるから三度に一度くらいは付き合っていたが、そもそも上忍のあの人が中忍である俺を誘うのが通常ではあまりない事なのだ。まあ今目前にいる人も自分などと差しで食事をとっていたりしたのだからあまり言えた事ではないが。
 それはともかく、どうしたらよいのかと考え込んだ。よくよく思い返せば自分は…。
 ―――迂闊だったのう。
 三代目は楽しそうに呵呵と笑っている。
 ―――アレはああ見えても純情でな。
 ―――はあ。
 ―――まあ話くらいは聞いてやるが良い。
 ―――ええ、まあ。考えておきます。
 俺が困ったように顔の傷をなぞっていると意味深長な笑みを浮かべてふむふむと頷くので、こちらもなんとなく苦笑を浮かべた。
 ―――…そろそろ行くかのう。ではな。
 椅子から立ち上がりくるりと背中を向ける。
 ―――三代目。
 三代目は再び掛け軸を跨ぎ、舟に腰掛けた。
 思わず俺は叫んだ。
 ―――もう会えないのですか?
 ―――また来ようかの。
 舟の上から答えがあり、するすると遠くなっていく。掛け軸の中の雨はすっかり止み、またもとの風景に戻っていた。

 さあ、どうしたものか。


 勤め帰りに商店街の肉屋で酒の肴にとコロッケを買ってきた。おまけだと二つばかり多く包んでもらったそれをぶら下げて歩いていると後ろから犬が付いてくる。思わず立ち止まりしげしげと眺めると毛艶がいいから野良ではないだろうと思ったが、試しに袋からコロッケをひとつ取り出す。
 ―――食べるか。
 差出せば小首を傾げふんふんと鼻を鳴らした後にパクリと食いつく。あっという間に平らげ手に付いた油までを丁寧に舐めとるのに苦笑し、思わずもうひとついるかと声をかけるとくあぁと伸びをした。もういいのかと頭を撫でていると立ち上がり、もう一度手を舐めてからすたすた歩き出してそのまま姿が見えなくなった。
 まだ陽は沈みきっていない。
 家に付いて縁側にコロッケと麦酒を乗せた盆を置き食べようとしたら、やれやれと三代目が出てきて隣に座った。
 ―――今時に出てきても差し上げませんよ。
 ―――別にいらんわい。
 縁先でううっと唸り声があがり、見れば先程の犬が牙を見せながら三代目を睨みつけている。いつの間に自分の後をつけてきたのか。
 ―――呵呵、餌でもやるとい良い。
 三代目が笑うと犬の居た場所にぼふんと煙が上がった。
 ―――あ…。
 ―――酷いですよ三代目。
 白煙の中から出てきたのはカカシ先生だった。何も犬に変化してまで入り込んでこなくても良いのに。
 ―――カカシ先生、あのですね。
 ―――え、あっ、…あの、すみません先生…。
 ―――ちゃんと玄関から入って下されば良いのに。
 そういって笑ってやると表情がへにゃりと崩れた。だって正面きっては入り辛くて、とか何とか言い訳をごもごもとしながら頭を掻く。銀色の髪に夕陽があたってきらきらとしている。
 ―――どうぞ、一杯如何ですか。
 ―――ええと、その。
 ―――日本酒のがいいかな。あ、でもコロッケはさっき食べましたっけね。
 ―――び、麦酒でいいですっ! あの、お邪魔では。
 何やら慌てた様子でカカシ先生が口布を引き下ろしている。想像以上に整った顔が少し赤くなっているような気がしたが、敢えて何も言わずにおいた。もしかしたら自分もそうかもしれないし。
 ―――さて、年寄りは帰るとするかのう。
 ふたりを見ていた三代目はぽんぽんと自分の腰を叩いて立ち上がる。
 ―――ゆっくりされればいいのに。
 ―――早く引っ込んで下さいよ。
 反対の科白を口にしてお互いに顔を見合わせる。カカシ先生の顔がもう一段赤くなるのを見て思わずぷふっと息を吐いた。
 ―――あー、もう。めためただ…。
 ―――ワシに冷たくするからじゃ。
 そう笑いながら三代目は床の間に消えていった。カカシ先生が笑う俺を恨めしそうな目で見るので、麦酒の入ったグラスを差し出してやると、黙って受け取り頂きますと言って口をつけた。それが何だか叱られた子供の仕草のようで可笑しかったが顔に出さないように努める。
 ―――笑いたそうな顔してる。
 ―――そんなことないですよ。
 少しむくれた顔を可愛いと思ってしまった。

 殆んど落ちてしまった陽に部屋の灯りを点け、上がりませんかと座布団を指した。一瞬躊躇った後に盆を持って上がってきたカカシさんからそれを受け取り卓袱台に置くと自分も向かい側に腰を下ろす。
 ―――夕飯、御一緒しませんか。
 そう言うとカカシ先生は嬉しそうに笑っていいんですかと乗り出した。三代目もさすがに食事は付き合ってくれませんしと言うと、あなた普通にあんなのと付き合ってるんですかと呆れられた。だって一人だと案外淋しいんですよと答えれば、じゃあこれからは俺が邪魔しに来ますと返された。そこでお互い顔を見合わせて神妙な顔になったのだが、どちらともなく吹き出してしまいそのまま夕食を共にした。元々たいした食材もなくあり合わせの品揃えだったが、喜んで貰えたのと一人の食事ではなかった事に食も進み酒も過ごした。
 部屋も余っているのだし泊まって行けばと勧めたがカカシ先生はそれはちょっと…とか何とか口ごもって結局夜半に帰ってしまった。それを淋しい、と思ってしまった自分に苦笑しながら見送った後の門を閉めた。
 明日も来てくれるといい、そう呟きながら。





(2005.02.01)

梨木香歩さんの「家守綺譚」の設定を大幅にお借りしました。Wパロ…と言っていいのだろうか?
設定を活かしきれていないのが情けないです…(汗)
元のお話が凄く素敵なんですよ! 読んでらっしゃる方、石を投げるのは御勘弁を…。





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