冬の蝉








なまくら刀で押したり引いたり。
そんな関係は御免だ。






「ね、今日は時間空いてますか?」
「今日は深夜受付なので無理です」
「じゃあ明日」
「明日は火影様に呼ばれていますので」
「じゃあ明後日」
「申し訳ありませんホント勘弁して下さい」

 毎日そんな遣り取りを繰り返していれば噂にものぼる。人の口に戸は建てられないし火のない処にも煙はたつ。
 けれどこんな風に仕事場所が針の筵になってしまうとはイルカには思ってもみないことだった。 ナルトに係わることで今までにも多少の嫌がらせを受けないではなかったが自分自身の葛藤を思い返すとそういう感情を納得出来ない訳でもなく、あえて毅然と受け流すことが出来た。
 しかしこれは明らかに違う。

 里の誉れとも言われる上忍様が、何が楽しくて自分のような中忍を弄んでいるのかがさっぱりわからない。
 蝉で遊ぶ猫じゃあるまいし俺が抵抗してジージージージー鳴くのがそんなに面白いのか。
 確かに中忍試験のことでは意見した。分不相応だと言われても仕方ない。
 それでもその後の謝罪を笑って受け入れてくれたと思っていたのに。

「…俺は蝉かっての」

 イルカが口の中で呟いた言葉をカカシの耳はしっかりと拾ったらしい。

「蝉って、何?」

 軽く聞き返されてイルカの中の何かがついに焼き切れた。

「…中忍を蝉みたいに嬲って楽しいですか、って事です」

 口調は静かに、だがしっかりとカカシの目を見つめてイルカは返答した。周りにいた忍び達が息を呑み一瞬のうちに受付所が静まり返った。皆が目線だけで事態の成り行きを見守っている。
 しばらくしてカカシの目がゆっくりと眇められ見つめあったままのイルカの背をぞくりとさせた。

「嬲るってどういうことかな?」

「それは…上忍のカカシ先生が俺のような中忍を構うなんて…。どう考えてもからかわれているとしか思えないということですが」

「………」

 躊躇いながらもはっきりと口に出されたイルカの言葉を聞いて、二人を取り巻く忍び達は相変わらず何も出来ず凍りついたような空気が漂う。当の本人達は向かい合ったままだ。

 そんな中、先に口を開いたのはイルカだった。

「…とにかく此処でする話ではないですね。俺も言い過ぎましたし、申し訳ありませんが明日の夜なんとか時間を作りますのでこの場は収めて頂けませんか?」

 おかしな空気を溶かすようにイルカが頭を下げるとカカシは僅かに顎を引き、何事もなかったかのように部屋を出て行った。途端に張り詰めていたものが解け、ある者は机に突っ伏しある者はその場にへたり込んだ。

「…イルカ〜、勘弁してくれよぉ〜…」
「悪りぃ…つい、な」
「お前、明日大丈夫かよ?」
「ん〜、多分?」
「多分って…上忍相手だ、くれぐれも気ィ付けろよ?」

 強張った笑顔で口々に慰めてくる面々に苦笑を返しながらイルカは鼻傷を掻いた。一番ビビッているのは自分かもしれないが、こうも心配されるとかえって冷静になろうってもんだ。

「仮にも里の誉れだ。そう酷い事にはならないだろ」
「とにかく健闘を祈るぞ」

 互いに苦笑しながら肩や頭を叩き合いそれぞれの仕事に戻ったが、イルカの頭からは先程のカカシの表情と明日は一体どうなるだろうかということが離れなかった。 結局なるようにしかならないだろうが一介の中忍である自分にとってはとんでもない重荷には違いない。




 翌日約束通りにカカシが現れた。イルカの仕事が引けた頃どこからともなくやってきたカカシは「店を予約しておいたから」と先にたって歩き出した。約束をした以上逃げる訳にもいかずイルカも歩き出す。その後姿からは何の感情も窺い知れない。ほわほわと揺れる銀色の髪をなんとなく見ながらイルカは肩を落とし後に続いた。

 辿り着いたのは小ぢんまりとした料理屋で、引き戸を引いたカカシを迎えた女将がそつなく二人を奥の座敷へと案内する。一見簡素な佇まいだが実際はかなりのものなのだろうとイルカは視線を巡らせた。
 女将に促されて座敷で卓についたはいいが、差し向かいで座るカカシにどうにも落ち着かない。
 一通りの料理が出される間はぽつりぽつりと当たり障りのない話をしていたが、カカシの目配せで女将が下がった後に沈黙が降りた。何となく気まずくなり酒盃を手で弄んでいるとカカシが口を開いた。

「イルカ先生はさ、俺の言うこと冗談だと思ってたんだ」
「…あの、」
「まあ普通はそうかもね」
「…はぁ」
「男同士なんだし」
「…まぁ」
「戦場でもないし」
「…そうですねぇ」

 イルカは阿呆のように相槌を打つことしか出来ない。

「でもさ、俺は真面目に言ってたんだよね」
「男とか女とかそんなの関係なくイルカ先生が気にいっちゃったわけ」
「しかもそうなったらイルカ先生の全部が欲しいから」
「周りにもはっきりと俺が手を出してるんだぞって広告しとかないとね」
「余計な手も口も誰にも出させないように」
「あなた自身も雁字搦めにしないと気が済まない」
「……」
「怖いですか」

 途中から口も挟めなくなったイルカの手にした酒盃から酒が零れ落ちていた。

 …怖い?
 …どうだろう?

 空になった酒盃とは逆にイルカの内側に何かが溜まり始めていた。空っぽだった場所に何かが入り込んできている。その感覚に首筋が粟立った。
 自分を正面から見詰める双眸から眼を逸らすことが出来ない。そういえばいつからあの口布と額宛が取り払われていたのだろう。左目こそ閉じられているが秀麗な顔を晒して見つめてくる上忍をイルカは見つめ返していた。

「…聞いてます?」
「え?…うわ、は、はいっ! 聞いてますっ!」
「で?」
「えーと、怖くはないです。…というか、正直ピンとこないというかなんというか…」
「……」
「あの…」
「…っく」
「あの?」
「…ぅくくく…」
「えーと、カカシ先生?」
「くくくっ…、や、失礼。あなたちょっとボンヤリし過ぎじゃないですか? それだから俺みたいなのに目ぇつけられるんですよ」
「ボ、ボンヤリって何ですかっ!」
「そのまんまの意味だけど」

 明らかに失礼な物言いに我に返ったイルカの眦が上がる。大きく深呼吸をすると先程零してしまった酒を脇にあったおしぼりで綺麗に拭い、畳に両の拳をあててスッと後ろへ下がった。

「本日は誘って頂きありがとうございました。…ですが、目下とはいえこれ以上戯言の的にされるのは御免です。これにて失礼致しますので」

 言うなり立ち上がろうとしたイルカの腕を一瞬にして近づいたカカシが掴んだ。思いのほか強い力に対抗するようにイルカはカカシを睨み付けた。

「これ以上…、何だって言うんですか?」

 眉を顰め怯まず問うイルカからカカシは気まずそうに視線を逸らした。

「すみません、言い過ぎました…。あー、その、俺も結構一杯一杯なんで…」
「は?」
「何て言うか…、これでも思いっきり真面目なんですよ。でもイルカ先生本気に取るどころか段々険悪な感じになっちゃって。さっき言ったことも全部本心です。でもわざと怖がらせようとしてる訳ではなくて…あの…、さっきは久しぶりに普通に話してくれたから嬉しくてつい…」
「嬉しくてついって、そんなアカデミー生でもあるまいし…」
「うっ、アカデミー生並なの? 俺…」
「あ、いやあの」
「いえ! いいんです、俺本当にそういうの疎いんで。嫌な思いさせました。ごめんなさい」

 しおしおと謝りながらもきつく握り締めて腕から離れない手にイルカが苦笑をもらした途端、ぴくりとカカシの肩が揺れた。
 これじゃあ自分が虐めてるみたいじゃないかと溜息を吐くと今度は身体を強張らせる。
 怖がってるのは俺じゃなくて。
 嫌がってる俺もいなくて。

 …嘘だろ?

「とりあえず座りませんか?」

 中腰の姿勢で言い合ってるのも何だか間抜けだしとイルカが提案すると明らかにほっとした様子でカカシも腰を下ろした。間近で向かい合って座るのも気が引けたがこの際仕方がない。

「何か色々と齟齬があるみたいですね」
「…そうですね」
「俺、カカシ先生にからかわれてるんだとばかり思ってました。でも違うんですね?」
「はい、それはもう!」

 真摯な眼差しで見つめてくるカカシにイルカが念を押すように尋ねると、カカシが大げさな程頷いた。それを見てイルカは自分がかなり読み違っていたことに気付く。
 これは正真正銘アカデミー生並かもしれない、と。
 きっと自分から誰かに告白するとか必要なかったんだろうなぁと我が身を振り返って遠い目になるがそこへカカシが言い募った。

「あの時も、蝉みたいに嬲って楽しいか、ってイルカ先生言ってたけどそんなつもりはなかったんです」
「ええ。…でも」
「でも?」
「俺も訂正します。精一杯必死に、季節外れの蝉みたいに煩くしてやりますよ」
「煩く?」
「色々です。カカシ先生になさそうな常識とか世間体とか」
「…そんなにないですかね」
「アカデミー生並、ですねぇ。だから…その後で見極めさせて頂きます」

 そう言って鮮やかに笑うイルカを見てカカシもつられるように苦笑する。
 切り込むつもりが丸め込まれてしまっている自分に。

 ああでも、とイルカは目を細めた。

「俺だってなまくら刀で切られるよりスッパリ切られたほうがいいですから」




 そういうことでいいですか、と。
 言われたカカシは一瞬瞠目したが、すぐに笑みを深くして答えた。





「同感です」





(2006.11.18)





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