見てるから振り向いて






もーいーかい?
まーだだよ
もーいーかい?
もーいーよー

もーいーよ…



大きな樹を背中にして、初めは大きな声で、やがて呟くように。
いくら叫んだって誰も来ないのに。
独りでここへ来てただ独りで遊んでいるだけ。
だけどそれを責める人だって居やしない。誰も知らない。
だから何時までこうしていようと構わないんだ。



 背中を樹に預けたままずるずると座り込み膝の間に顔を埋めるとじわりと何かが盛り上がってくる。あっという間に歪む視界。けれど誰に見られているわけでもないそれが凄く恥ずかしくまた悔しいことのように思えてきて、イルカはズボンに顔を押し当ててグリグリと乱暴に涙を拭った。擦りすぎたところがヒリヒリと痛みほんのりと熱を持ったがそんなことには気付かないふりをして顔をあげる。
 ここは里の外れにある森の一つで小さな頃から何度も来ている所だった。里の中央と比べると決して安全とは言えない所だが、かつて父や母と鍛錬に訪れていた場所であったし今では下忍なのだから勿論独りで来られる。それに木陰と明るい陽だまりとが混在する中を走り抜けて新緑の匂いを吸い込むと色々な事を頭から追い払えるから、特にこの時期にはよく訪れていた。

 それでも。
 ふと立ち止まってしまった時に。

 はふ、と息を整えながらしばらくの間イルカはぼんやりと風に揺れる木々の葉の音を聞いていたが、不意に感じた気配に慌てて立ち上がった。こんなところ、誰にも見られたくない。

「あんたが鬼なの? それとも逆?」

 唐突にかけられた言葉に固まったイルカを木陰から狐が見ていた。
 否、狐ではなく狐面。
 それは里では誰もが畏れるもの。

 ――なんで、暗部が。

「俺が鬼でいいよね? うん、その方がいいな」

 あっという間に近付き目の前に立った暗部がゆっくりと腕を上げ、黒い鉤爪の先でイルカの輪郭をツゥと撫でた。その冷たい感触に背中がぞくりと震える。

「な…に?」

 結局イルカが絞り出せた言葉はこれだけだった。立ち上がったはいいものの再び樹に背中が付くまで後退りしてしまい、それ以上下がれないとわかっても尚背中を押し付けてしまう。
 怖い。
 ただそれだけの感情で身体が麻痺したように動けない。実際に暗部を目にしたのは初めてだった。しかもこんなに近くで。様々な暗部についての噂話が頭の中を駆け巡る。両親は決して恐ろしい存在ではないと言っていたが見たこともないものに働く想像力のほうが遥かに上だった。
 硬直して小さく震えるイルカの頭の両脇で鉤爪が樹に食い込む乾いた音がした。獣面の奥から見下ろす視線が赤く光ったような気がしてイルカは思わずじっと見つめてしまったが、その瞬間に何故か震えが止まり身体中に篭っていた強張りが解けた。怖い。でも目が離せない。

「みぃつけた」

 その言葉に目を瞠る。

 え、何――?

「見てたから」
 イルカの心を読んだように暗部が言った。
「何回もここに来てたでしょ」
「な、なんで…」
「ここね、狐の通り道なの。だから何度も見かけたよ」
 何度も、と言われてイルカの顔に血が上った。
 ――見られてた。
 自分の行動が一度きりのものではない事を知られていた。恥ずかしい。悔しい。急に雑多な感情が噴出してきて解けていたはずの強張りが戻ってくる。イルカの大きな目は零れ落ちんばかりに開いたままだ。
「目玉が落ちちゃいそう」
「な! なんだよっ!」
「真ーっ黒だ」
 覗きこむのをやめずに言う声が面に篭って響くのを間近で聞いているのが信じられずにいると、小さく音をたてて鉤爪が外れた。
「脅かすつもりはなかったんだけどね。気がついちゃうんだもん」
「え?」
「ふつーに気配絶ってたつもりなんだけど、まぐれでも気付かれたらねぇ。つい声掛けちゃったよ」
「まっ、まぐれなんかじゃないっ! ちゃんと分かったっ!」
「ふーん。じゃあ尚の事だね。暗部の顔見てただで済むと思ってる?」
「…っ!」
「狐の通り道で遊んじゃいけないよ?」
 狐の通り道、と何度か言われてイルカは自分が踏み込んではいけない場所まできてしまったのだと悟った。この暗部は自分を邪魔だと思ったのだ。そして始末されても仕方ない状況なのだとも。
「覚悟は出来た?」
 くるりとクナイを指でまわす仕草にはまるで現実味がなくて、目を瞑ることも忘れてイルカは暗部を見上げた。

 ――あ、綺麗な髪の色してるなぁ。

 そんなことを思い、両親や三代目のことを思い。

 ――ごめんなさい。里の為になること殆んど出来なかった。
    もっともっといろんな任務を受けたかったなぁ。
 ――今日、誕生日だったんだけどなぁ。

 見上げるイルカの頬をぽろぽろと涙が伝い細い咽喉元にまで駆け下りていく。子供らしく声をあげることもなくただただ涙だけを落としていく泣き方に見ていた暗部の方が眉を顰めた。そして人差し指を曲げて尖らせた関節をイルカの唇に押し当てて緩く捻じ込んだ。
「う、ふ、…ッ」
 突然された事に驚き思わず抗議の声をあげようとした代わりに嗚咽がもれた。
「声、出したほうがいいんだって」
「ひ、くッ…」
「先生が言ってた。声、出したほうが楽だって」
 何を言っているのだろうこの暗部は。泣いちゃいけない、そんな弱い事ではいけないと思っている自分に。
 慰霊碑の前で三代目に声をかけられた時から、馬鹿ばかりやっていてはいけないと、火の意志を持つ者として生きていこうと決めた時から、それまでと違った意味で頑張らなければいけないと生きてきた自分に。
「誰も見てないんだからさ、いいじゃない?」
「誰も、って…」
「ほら」
 そういうと暗部は獣の面を呆気なく取り去った。下から現れた黒い口布も躊躇いなく引き下ろす。
「あ、暗部が、顔見せっ…!」
 涙の跡を頬に走らせたまま唖然とするイルカに暗部がにやりと笑いかけた。
「暗部なんてここにはいなーいよ。さっきは脅かしちゃったけどさ、俺はね、カカシ。ね、カカシって呼んで?」
 急に機嫌よく話し掛け始めたカカシにイルカはついていけない。
「な、俺、始末されるんじゃ、」
「人を鬼みたいに言わないでよ。何も取って食ったりしないよ。あんまり可愛いからちょっと虐めちゃっただけだよ」
 ――ちょっと、って。虐める、って。
 混乱して目を白黒させるイルカにカカシは尚も問い掛ける。
「ね、何て名前? わかんないと不便だから教えて?」
「イ、イルカ…」
 問い掛けられてはいるものの有無を言わせぬ雰囲気に押されて答えると、カカシはイルカね〜、と頷きながら再び覗き込んできた。
「イルカさ、ここで修行もしてたよね」
 それも見られていたのかとイルカの顔に血が上る。あ、とか、う、とか口篭るイルカに瞬間真剣な目になったカカシが言った。
「強くなりたいならあんな風に諦めちゃ駄目。暗部になら殺られても仕方ないって思ったでしょ? 絶対に駄目だよ。最後の最後まで諦めちゃ。木の葉には仲間がいるんだから自分ではどうにも何にも出来なくなっても最後の一秒まで諦めちゃ駄目」
 そう言われてイルカは瞑目した。仲間とか信頼とかそういったものを自分はまだまだわかっていないのだと。悄然としたイルカにカカシは笑いかける。
「修行の相手してやろーか? 通りがかったら、さ」





「なーんで俺の気配はわかるのに野兎如きがわかんないのかなぁ?」
「しょーがないじゃんか! カカシさんはわざと分かるようにしてくるんでしょうっ?」
 獲物を取り逃がしたイルカにカカシが呆れたように声をかけると拗ねたように反論してくる。カカシはあれから何度かこうして修行に付き合っていたのだが。
 だからふつーに気配は絶ってるんだって、とカカシは心の中で呟く。それはある意味凄い事だと思う。自分は上忍で暗部で、なのにイルカには易々と気付かれてしまうのだから。
「これってもう運命だよね〜。でもまだまだおこちゃまだしな〜」
「何ですかニヤニヤして? 早くさっきの続きして下さいよ?」
   修行の続きを強請るイルカに苦笑しながら、はいはいと返事をして歩み寄る。そして。

「わ! 何すんだよっ!」
 いきなり額宛を目隠しのように下ろされてイルカが声をあげた。じたばたと暴れる身体の両肩を思いのほか強い力でカカシの両手が押さえる。そしてふに、と唇に押し付けられる感触。
「ぅん?」
 それが何か知覚する前に再び額宛が元に戻された。何故かきつく閉じていた目を開けて見ればカカシがニヤニヤと笑ってイルカの顔を覗き込んでいた。
「何ですか、もうっ!」
 ふくれるイルカを宥めるように少々乱暴に頭を撫でると子ども扱いするなとまた暴れる。一頻りじゃれあうようにしていたが、カカシはふと真顔になって口を開いた。
「俺ね、長期任務に出るんだ」
「え?」
「だから当分イルカと修行出来ない」
 長期任務、と言われてイルカには喪失感があったが、カカシの立場を思うと当然だと納得もした。自分のような下忍が修行をつけてもらえるなど、親や上忍師でもないのに有り得ないことだったのだから。この一ヶ月間はとても充実していた。任務が終わると森へ駆けつけてカカシを探した。居ない日には肩を落として独りで修行したが見つけられた時にはみっちりとしごかれた。身体はくたくたでも気持ちは高揚していた。
「そっか…」
 少し俯いた後、イルカはにこりと笑った。
「カカシさんと初めて話した日ね、俺の誕生日だったんです。独りなのが何て言うか凄くいやで…。でもそのおかげでカカシさんにあえました。嬉しかった」
 鼻傷を指先で擦りながら話すイルカがとても愛しい。でもさっきのキスの意味すらイルカは気付いていないだろう。
「誕生日だったんだ。じゃあ、次の誕生日は一緒にケーキでも食べようか」
「やった! ホントに、そうだといいなぁ」
 そんな先の約束など果たせるかどうかもわからなかったけれどイルカもカカシもそれを口にはしなかった。ただお互いに元気で、と声を掛け、イルカがありがとうございましたと深く頭を下げた。
 イルカに先に行って、と促してその後姿をカカシは何時までも見ていた。イルカは一度だけ惜しむように振り返って手を振ったが、意を決したように踵を返して走り去っていった。次にいつ逢えるかなんてわからないけれどもきっとまたイルカは自分を見つけてくれる。


 そう思ってカカシは誰も居ない森を見つめた。





(2007.05.31)

イルカ先生お誕生日おめでとう!
薄暗いのはいつものことですが、遅いですか? 遅いですね? なんとか五月中に…と思ったのですが、ちょっぴりはみだしてしまいました…(汗)
消化不良なところは見なかったことにしてくださ…。





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